生活

2011年4月 4日 (月)

仕事

休日。


何をするのか、考える。


とりあえず手続き的な事は全部こなした。


投資やカード等も含め、仕組みは作った。


後は、粛々と仕事をこなし、日々を送っていくのみである。

仕事。


やるべき事があり、ホッとする半面、

自分が通用するのかという不安は消えない。


この不安は大切にしていきたい。


わくわくしてきた。


自分で生活をしている。


自分の事を全て自分で決める感覚。


勿論、給料はもう少し先だけど、やはり、これは気持ちがよい。

成功も失敗も、うれしい事も悲しい事もたくさんある。


でも全ては自分で選んだ結果。


人生が始まる。

2011年3月28日 (月)

旅に出る。


目的は、次の行動の仕掛けを作ること。


奇麗な景色を見る。
好きなカフェを見つける。
素敵な人と出会う。


なんでもいい。

自分の心を向きを確かめる。

気持ちよく社会人のスタートを切るために。

さて、15年ぶりの第2の故郷だ。

2011年3月27日 (日)

経験に勝る知識無し

渋谷の交差点にて。


被災地へ向けた募金活動をしている集団がいた。


いつものように、募金はしない。

まだ、自分には理由が見つからないから。


通り過ぎようとしたとき、目に入ったのは、彼らの顔。


皆外国人の若者でした。


拙い日本語で募金を訴える彼ら。


何故かその瞬間に衝撃が走って、しばらく立ちつくした。


日本の災害について、外国人が日本人に募金を呼び掛けている。


別に、ありえないことかと言われれば、そうでもない。


でも何故か衝撃だったんだ。


これを機に、日本の国際化が進んだらいいなと思ってた。


被災地に外国の救援部隊が入り、被災者を助け、ステレオタイプを消し去っていくような。


彼らの動機は分からない。


正直想像もつかなかった。


でも良く考えれば、こういう光景は世界中で目にする。


アフリカ、アジアで現地のために活動する外国人は多い。


そういえば俺も貧困問題研究してたじゃないか。

逆の立場で見るとこんな感じなのか。

違和感。


同時に焦り。


自分、何やってんの、みたいな。


やらない善よりやる偽善。


誰かが言ってたけれど、いつから俺はやらない偽善に陥っていたんだろう。


いつからか、当事者意識が沸かない事を理由に、行動しなくなっていた。


行動の前に完全な理由がつくことなんてまずない。


多くは後付。


大切なのは、行動。そして経験。

信条を忘れていた。

常に行動を止めない。


そして次の動きのための仕掛けを作り続ける。

次に彼らに会った時は、しっかり話を聞いて、心に従って行動しよう。

一つの行動でスタンスを決めてしまう必要なんてない。

今、必要なのは、経験の絶対数だ。

経験に勝る知識無し。

さぁ動こう。

2011年3月26日 (土)

強くなる

欲しい時に欲しいものを買うというシステムの欠陥が露呈した今回の地震。


物に頼り、インフラに頼っている現状が浮かび上がる。


強くなろうと思う。


ここでいう強さとは、自分独自で経済を回すということ。


つまり、生産、流通、金融を自給自足する。


カロリーベースで最低限必要な食物は自分で作る。

それを、輸送し、世界中から物を調達するネットワークを持つ。

そのために、資産を分散し、必要な資金を常に確保する。


勿論完全自給は無理だけど、少しでも身に起こる“リスク”を減らすことはできる。


強かとかいてしたたかと読む。


自分の身は、自分で守る。


そういう時代。


余裕があって初めて人にやさしくなれる。

人のためにも、強くなろうと思う。

2011年3月25日 (金)

華の88年組

ツイッターにて。

“生まれた直後にバブル崩壊で、小学校入学年には阪神大震災。中学校ではゆとりと言われ、高校では履修漏れで入試・卒業バタバタ。就職期はリーマンショックのあおりを受け、そして大学の卒業式は中止。そんなオレたち華の88年組。心から、卒業おめでとう。”

というついーとを発見。


中学時には同時多発テロもあり、話題には事欠かない我ら88年組。


世界的には冷戦構造の崩壊、国内的にはバブルの崩壊とともに生まれてきた僕らの世代。

世界的なパラダイムシフトと共に歩んできた僕らには、新しい時代を作る事が求められている。


石原都知事は今回の地震を指して“天罰”と言ったけれど、ある意味では正しいのかもしれない。

グローバリゼーションとともに拡大した、アメリカ型の“欲”を基にした現代の文化。

地球のバランスを無視して、必要以上の物を求める現代人に、地球が警鐘を鳴らしている。

きっかけ。


これはきっかけに過ぎない。


地球が鳴らす警鐘に、気付くための。

新しい社会を、僕らの社会を試されているような気がした。


今日は、卒業の日。

新しい世界を担う僕らの世代、

卒業おめでとう。

2011年3月24日 (木)

生活リズム

東京が暗い。


僕が住んでいる町は計画停電の範囲ではないけれど、町からはすっかり灯りが消えた。


店も早々と店じまい。


24時間営業が当たり前の生活に慣れている身としては非常に不便。


でも思い出す。


実家にいる時は、夜9時を過ぎれば、町はすっかり静かだった。


ナイジェリアにいるときは、暗くなってから外を出歩く人はほとんどいなかった。

日が昇ったら活動し、日が沈んだら休む。


人間が本来持っていた生活リズム。


便利である事は確かにすばらしい。


でも、日の出と共に目覚め、仕事をし、日が沈む前には、家に帰って家族で団欒の時を過ごす。


そんな生活も素敵。

みんながそういう生活をすれば、今ある社会問題の多くは解決するんじゃなかろうか。


僕自身も、これを機に、自分の一番気持ちのいい生き方、リズムをちゃんと考えたい。

気持ちのいい朝を、毎朝迎えるために。

2011年3月21日 (月)

引越し

引越しが完全に終了した。


部屋が本格的に部屋になってきた。

些細な事が気分を変える。

物事を全て簡単に解説してしまってはいけない。

それでは、複雑な事をがんばっている人たちに失礼だ。

久々に会った親父が言った。

確かに。


物事を単純に捉えすぎるから、安易な批判が起こる。


「原発に外部電源をつなぐ。」


この作業の裏には、厚さ数十センチの鉄管が網のように張り巡らされた原発に
暗闇の中で挑む作業員がいる。


知りたいという知識欲は大事だけれど、安易な理解を求めて分かったつもりになってはいけない。

わかったつもりは無知よりも悪い。


本質を捉える。

具体的なイメージを持つ。

癖をつけようと思う。

2011年3月16日 (水)

スタンス~“こんな時”ってどんな時?~

原発の問題がいよいよ深刻に。

株価は大暴落。

地震の被害が刻々と明らかになってきています。

そんな中、ツイッター等のソーシャルメディアでは、スタンスの問題が議論になっている。

“こんなときに”とか、“不謹慎”という言葉をよく目にする。

色んな意見があるけれど、自分にも2つの軸があって悩む。

未曾有の大災害に対して、何か特別な事を考え、行わなければ、という側面。

もうひとつは、そうはいっても、自分の周辺にそこまで影響はないし、出来る事を考えても
普段通りに日々を送るべきという側面。

これは、それぞれ良いとか悪いというわけではなく、正義の問題。

普段何気なく行っている“評価”がこういう時に試される。


目下自分の考えは、結局“こんなときだから”と言って特別な事をしても
本質的に問題解決につながるわけじゃないし、限界だってある。

異常な節電や食料の買い占め、身の丈に合わない寄付なんかは好きじゃない。

イベントの中止とか飲み会の中止とか意味わかんないし。

特に卒業式。

中止の理由が意味わかんないし、あまった金を寄付に回すとか、それ誰の金ですか、って話で。

本来追及すべき価値を損なってまでする寄付に価値はないと思います。


むしろこういう機会を利用して自分のスタンスを見極め、普段の自分を見直し、
持続可能な範囲で自分の活動を変えていく事にしたい。

普段使いすぎている電気に少し意識を向けて習慣を変える。

そんな事をちょっとずつ考え、実行していくしかないんだろうな。


でも今回一番強く思ったのは、力が足りないという事。

こんなに苦しんでいる人がいるのに自分に出来る事はあまりにも小さい。

大切な人を守るべき時に他人に目を向けるだけの余裕がない。

自分が求める価値のため、力をつけたい。


切にそう思ったのでした。

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