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2012年8月

2012年8月31日 (金)

先を考える

基本的に、未来を考えるのが苦手です。

過去と現在が中心で、中々未来まで思考が至らない。

なので、自分の理想とか聞かれても、正直完全に納得できる回答はできませんでした。


最近、世の中の事に再び目を向けてきて、今までは、これまでの経緯や現在の事実関係など、
過去ベースに考えていたですが、最近は無理やり未来を意識して考えています。


具体的な事例ごとでしかないですが、今度の状況を考えたりしていると
不思議なもので、自分についても、その時にどうしていたいとか、
少しづつ頭に浮かんでくるようになりました。


もちろん、まだ全然輪郭が見えた程度の話なんだけれど、
結局自分が生きる社会の未来を考えずに自分がどうなりたいかを
うんうん考えていても仕方ないなと思いました。


前回書いた社会を知る、考える意味ってもしかしたらこのへんに
あるかもしれない、とふっと気付いた夜なのでした。


早く形にしたい。


終わり。

2012年8月29日 (水)

この面白さを伝えたい

忘れもしない、大学3年の春から、社会で起こっていることに凄く興味をもつようになった。

きっかけはとある大学の講義で、自分の無知を自覚し、その外に広がる世界に魅せられた事。

危機感といってもいいかもしれない。

自分は色々やってきたつもりでいたけれど、こんなに世の中の事を知らないのかと知った時の恐怖。

それが合わさって、今日まで、自分は世の中への関心を持ち続けている。


新聞やニュースやいろんなメディアが伝える世界の出来事は、自分に常に発見とワクワクを運んでくれる。


最初は知識が広がっていく感じがただ楽しくて、がむしゃらにいろんな事を調べていって、

知れば知るほどその前提となる知識の欠如に気づいてまた勉強して。


そのサイクルがたまらなく楽しかったのを覚えている。

翻って、卒業以降はなかなかそれに向い合う時間もないほど、いろんなことに忙殺されていたけれど、

最近またその熱が持ち直している。


よく言われるし、自分でもわからないのが、それが何につながるのかということ。


自分なりに、こうなったらいいなとか、こう役に立つだろうなというイメージはあるんだけれども

なかなかうまく形にならない。


個人的には、まだ、とにかく楽しいから情報を収集していて、それ以上のものにはなっていない。


そんな中で最近、やっと、そのつながりみたいなのが微かに感じられてきて、

まだ、なんか輪郭が見えただけで、もう少しすれば、すべてスカッとつながるような感覚が

あるようなないような、そんなレベルなんだけれど。

少なくとも、一つひとつの興味を持ったことについて、調べ、まとめて未来を考えていく過程は

無駄になることはないと信じているし、何よりこれがまた楽しいから、できればいろんな人と

いろんなテーマで議論をしたい。


一人でも多くの人が、世の中って面白い!って思ってもらえるような、そんな発信をしていきたい。


とりとめもなくそんなことを思ったのでした。

2012年8月20日 (月)

肩の力を抜いて。

そろそろブログをゆるめに再開します。


なんか考えてる事を少しでも知ってもらいたいし。


いろーんな事を考えています最近。


仕事はもちろん、自分の事や社会のこと、新規事業のアイデアとかどんどん。


今まで自分は、何かを考えるとき、最終的には全て自分の内面に繋げて考えていました。


ちょっとそれを辞めてみようかなと。


どうしても興味の方向性が、最終的に、自分がどうそれを捉えるか、どう考えるかという
点に終始してしまって、そこに他者の視点が全くなくなってしまうから。


もう少し肩の力を抜いて、普段考えていることをふわっと書いて見ようと思います。

2012年8月12日 (日)

オリンピックにまつわるお金の話

『オリンピックと商業主義』(小川勝、集英社新書、2012年)を読んだ。

オリンピックのお金の流れについてうまくまとまってたのでお勧め。

まとめと思ったことをつらつら。

近代オリンピックが始まったのは、1896年。
陸上、水泳、体操、レスリング、フェンシング、射撃、自転車、テニスの8競技43種目で始まった。
詳しくはWikiで。

平和の祭典であるオリンピックがいつの間にか”商業主義に陥り”、様々な利権が絡むようになってきた歴史と背景を辿る本書。

そもそもオリンピックは、当時のアマチュアリズムを基本とし、プロや一般労働者の参加を排除する極めて貴族的なイベントだった。
テレビもラジオもない時代に宝くじや税金によって運営されていたオリンピックは、技術の発展に伴い、世界中の視聴者がリアルタイムで観戦する一大広告イベントになった。

放映権や、複数大会に渡るスポンサー契約など、様々な広告商品が売買されている今日、その結果として起こる、本来の価値よりも利益の最大化が優先されてしまう事を著者は”商業主義に陥る”と表現し、警鐘を鳴らす。

高額な放映権料を払っている米NBCに配慮したプログラムが組まれ、選手がベストなコンディションで試合に望むことができていない。
特に米国との時差が激しいアジアでの開催はその例が顕著であり、前回の北京大会では、水泳の決勝戦が午前中に行われるなど、それまでとは明らかに異なる時間帯のプログラムが組まれていた。

もちろん、オリンピックの収支が放映権なしには成り立たない現状において、視聴者に対する配慮はある程度必要だとは思うけれど、それによって本来のベストパフォーマンスを競うという趣旨が没却されちゃ意味ないよねというのが本書の主張。


読んでいて、これだけの人が注目する大イベントなだけに(途上国での関心度については、知らないので、オリンピック先進国だけで盛り上がってる可能性については否定しない。)それが広告として価値を持って利用されてしまうのしかたないと思う。

そして色々調べていたら、今回のオリンピックは、ソーシャルメディアが一般化してから最初のオリンピックということで、各所でトラブルや失格がおこっている模様。
(参考:http://london.yahoo.co.jp/news/detail/20120807-00000070-mai)

興味深かったのは、開会式について、本来昼に生中継出来たものを視聴率の高い夜に録画放送を行ったことで、ソーシャルメディア上の盛り上がりとテレビ視聴者の盛り上がりがリンクしなかったことについて、講義が殺到したんだとか。

今回のオリンピックは、日本人にとっては深夜の放送が多く、寝不足の日々が続いた人も多かったのではないかと思いますが、これが示すのは、生放送の価値がこれまで以上に上がったということではないかなと思う。

ソーシャルメディア含めてこれだけネット上に情報が流れてしまえば、テレビ放映に期待されるものは、結果の分かっている試合の録画を流すことではなく、リアルタイムな映像。

そうなれば、今後ますますテレビよりにプログラムが組まれる可能性は高まってしまい、本書で指摘されたような趣旨の没却が起きやすい状況ができてしまうのではないかなと。

東京もオリンピック誘致に向けて動いていますが、多額の税金投入に都民、国民の理解が得られる可能性が低ければ、放映権料の重要性は更に高まる。

個人的には、オリンピックを生で見れるなら是非にと思いますが、こういった事情がある中で、東京都がどういう提案をしていくのか、注目してみようと思ったのでした。

誘致について、賛成か反対か意見をお持ちの方がいれば是非聞かせて下さい。


落選した16年の誘致ページを発見。落選してから更新されてないみたい。そりゃそうか。
http://www.shochi-honbu.metro.tokyo.jp/

終わり。

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