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2011年3月

2011年3月31日 (木)

帰還

今日、旅から帰ってきた。


18切符で11時間の道のり。


東京からほんの数時間、数百キロ。


そこは白銀の世界。


日本には、まだまだ知らない場所、知らない景色がたくさんある事を知る。

近くて、遠くて、身近で、新鮮な、場所。

自分の好きなモノ、楽しい事、少し発見できたような気がする。

明日は学生最後の日。

締め括りをしっかり行いたいと思う。

2011年3月28日 (月)

旅に出る。


目的は、次の行動の仕掛けを作ること。


奇麗な景色を見る。
好きなカフェを見つける。
素敵な人と出会う。


なんでもいい。

自分の心を向きを確かめる。

気持ちよく社会人のスタートを切るために。

さて、15年ぶりの第2の故郷だ。

2011年3月27日 (日)

経験に勝る知識無し

渋谷の交差点にて。


被災地へ向けた募金活動をしている集団がいた。


いつものように、募金はしない。

まだ、自分には理由が見つからないから。


通り過ぎようとしたとき、目に入ったのは、彼らの顔。


皆外国人の若者でした。


拙い日本語で募金を訴える彼ら。


何故かその瞬間に衝撃が走って、しばらく立ちつくした。


日本の災害について、外国人が日本人に募金を呼び掛けている。


別に、ありえないことかと言われれば、そうでもない。


でも何故か衝撃だったんだ。


これを機に、日本の国際化が進んだらいいなと思ってた。


被災地に外国の救援部隊が入り、被災者を助け、ステレオタイプを消し去っていくような。


彼らの動機は分からない。


正直想像もつかなかった。


でも良く考えれば、こういう光景は世界中で目にする。


アフリカ、アジアで現地のために活動する外国人は多い。


そういえば俺も貧困問題研究してたじゃないか。

逆の立場で見るとこんな感じなのか。

違和感。


同時に焦り。


自分、何やってんの、みたいな。


やらない善よりやる偽善。


誰かが言ってたけれど、いつから俺はやらない偽善に陥っていたんだろう。


いつからか、当事者意識が沸かない事を理由に、行動しなくなっていた。


行動の前に完全な理由がつくことなんてまずない。


多くは後付。


大切なのは、行動。そして経験。

信条を忘れていた。

常に行動を止めない。


そして次の動きのための仕掛けを作り続ける。

次に彼らに会った時は、しっかり話を聞いて、心に従って行動しよう。

一つの行動でスタンスを決めてしまう必要なんてない。

今、必要なのは、経験の絶対数だ。

経験に勝る知識無し。

さぁ動こう。

2011年3月26日 (土)

強くなる

欲しい時に欲しいものを買うというシステムの欠陥が露呈した今回の地震。


物に頼り、インフラに頼っている現状が浮かび上がる。


強くなろうと思う。


ここでいう強さとは、自分独自で経済を回すということ。


つまり、生産、流通、金融を自給自足する。


カロリーベースで最低限必要な食物は自分で作る。

それを、輸送し、世界中から物を調達するネットワークを持つ。

そのために、資産を分散し、必要な資金を常に確保する。


勿論完全自給は無理だけど、少しでも身に起こる“リスク”を減らすことはできる。


強かとかいてしたたかと読む。


自分の身は、自分で守る。


そういう時代。


余裕があって初めて人にやさしくなれる。

人のためにも、強くなろうと思う。

2011年3月25日 (金)

華の88年組

ツイッターにて。

“生まれた直後にバブル崩壊で、小学校入学年には阪神大震災。中学校ではゆとりと言われ、高校では履修漏れで入試・卒業バタバタ。就職期はリーマンショックのあおりを受け、そして大学の卒業式は中止。そんなオレたち華の88年組。心から、卒業おめでとう。”

というついーとを発見。


中学時には同時多発テロもあり、話題には事欠かない我ら88年組。


世界的には冷戦構造の崩壊、国内的にはバブルの崩壊とともに生まれてきた僕らの世代。

世界的なパラダイムシフトと共に歩んできた僕らには、新しい時代を作る事が求められている。


石原都知事は今回の地震を指して“天罰”と言ったけれど、ある意味では正しいのかもしれない。

グローバリゼーションとともに拡大した、アメリカ型の“欲”を基にした現代の文化。

地球のバランスを無視して、必要以上の物を求める現代人に、地球が警鐘を鳴らしている。

きっかけ。


これはきっかけに過ぎない。


地球が鳴らす警鐘に、気付くための。

新しい社会を、僕らの社会を試されているような気がした。


今日は、卒業の日。

新しい世界を担う僕らの世代、

卒業おめでとう。

2011年3月24日 (木)

生活リズム

東京が暗い。


僕が住んでいる町は計画停電の範囲ではないけれど、町からはすっかり灯りが消えた。


店も早々と店じまい。


24時間営業が当たり前の生活に慣れている身としては非常に不便。


でも思い出す。


実家にいる時は、夜9時を過ぎれば、町はすっかり静かだった。


ナイジェリアにいるときは、暗くなってから外を出歩く人はほとんどいなかった。

日が昇ったら活動し、日が沈んだら休む。


人間が本来持っていた生活リズム。


便利である事は確かにすばらしい。


でも、日の出と共に目覚め、仕事をし、日が沈む前には、家に帰って家族で団欒の時を過ごす。


そんな生活も素敵。

みんながそういう生活をすれば、今ある社会問題の多くは解決するんじゃなかろうか。


僕自身も、これを機に、自分の一番気持ちのいい生き方、リズムをちゃんと考えたい。

気持ちのいい朝を、毎朝迎えるために。

2011年3月23日 (水)

ナイター~節電と被災者~

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1103210006/

プロ野球セリーグの開幕が波紋を呼んでいる。

簡単にいえば、こんなときに野球(しかもナイター)をやるなんて不謹慎だ!って話。


この手の話を聞いて思う事。


論点が違うんじゃなかろうか。

この話には以下2つのポイントがある。

①被災者への配慮
②節電

①被災者への配慮

被災者を励ますため、とか、被災者は見れないのにかわいそうだ、とかそういう議論。

こんな時だからいろいろ自粛しましょうというのもこれ。

これに関して僕は、とりあえず、普通の生活ができる人は普通にやったらいいんじゃないかと思っています。

被災者のために、たとえば経済活動を自粛してしまえば、経済が停滞するわけで。


てか、イベントの中止とかが、どう被災者に結び付くのか僕には意味不明です。

そんなことして被災者は喜ぶのかしら。


なんでも被災者を理由に使うのはやめた方がいいと思う。


②節電

ナイター1試合で5万キロワット使うんだとか。これは4000~5000世帯分の電気らしい。

だからやめるべきだ!って議論。

確かに、ナイターのせいでどっかが停電になるんだったらそれはあり得ないけど、それ以外なら何か問題あんのか??


そもそも節電は、首都圏の電力が不足して大停電しないために節電とか計画停電とかやってるんであって、
電力があるんなら別に考える必要はない。

普段やるべきことをやるべき。

電力の問題と被災者への問題をごっちゃにして、被災者のために苦労して節電してるんだから~~とか
言う人いるけど、全く関係ないから。

電力が足りなくなったのは地震のせいですが、それと被災者は関係ない。


頭使おう。

2011年3月22日 (火)

品薄の原因

品不足がかなり解消されてきた。

当然だ。

もともと供給は減ってないどころか増えてるんだから。


何故、この品薄が起こったか、ちゃんと考えてみようと思う。

まず、事実として、物がない事は確か。

食料は、米、卵、納豆、パン、肉。
その他ではガソリン、電池、トイレットペーパー。

これらは、ここ1週間、本当に店頭で見なかった。

特に電池やトイレットペーパーなんていつも山のように積んであるから、
その欠乏っぷりは、視覚的に大きい。


では、何故、これらの品がなくなったのか。

物が足りなくなる理由は、需要が供給を上回るから。

つまり原因としては考えられるのは当然、

①供給の低下
②需要の増加

の2つになる。

①供給は、生産と流通に分けられる。

・生産

【短期的不足】
 製油所の火災による一時的なガソリン

【長期的不足】
 農作、畜産壊滅による食料品

・流通

【災害による影響】
 空港、港湾の被災による、空輸、海輸の(一時的)停止
 ガソリン不足、交通網の混乱による陸輸の遅れ

【制度上の問題】
 POSシステムによる在庫管理の普及
 →今、小売店舗では殆ど在庫を持たないシステムが出来上がっている。
  POSにより、需要を的確に把握し、一日に何度も仕入れを行うことにより、在庫を最低限にしている。
  そのため、瞬間的な需要増には供給が追い付かず、店舗の品不足が起こる。

②需要

・直接的要因
 災害により、東北地方の食料、日用品の緊急需要
 東北地方への送付のため

・心理的要因
 供給不安に対する不安
 災害→品不足というステレオタイプ
 東京での地震に対する用心
 オイルショック以来のトラウマ
 インフラ崩壊の不安

色々書いてみましたが、結局こういうことだと思います。

災害が発生 → 次はうち東京かも。。。という不安 → ちょっと多めに食料等確保 → 店舗が品薄
→ それを見た消費者が焦って買いだめ加速 → マスコミによる報道と、計画停電によるインフラ不安
→ 過度の買占め

今回の品薄のカギとなるのは、消費者の心理的なものだと思います。

欲しいものを欲しい時に。

品薄はそういう社会システムの欠点が浮き彫りになった結果。

普通に考えれば、トイレットペーパーとかそんな買っても使わないし、
水とか出るし、電気つくし、

何より、そんなに大量に買っても避難する時もってけないしね。


でも、確かにその心理は理解できる。

漠然とした不安+視覚的な品不足(店舗)が、個人の判断に“根拠”を与えて行動に駆り立ててしまったのだと思います。

そして、これは金融に似ている。というか同じ。

曖昧かつ本質とは関係ない情報で株価が乱高下するとか。

ここに投機筋が入ってくるからさらにややこしいけど。

てか、金融ももともとは実際の物を介して行っていたわけだから当然か。


だからこういった災害時でも、市場原理が万全に機能していれば、投機筋が入ってきても不思議じゃない。

食料やガソリンを買い占めて、転売する奴がもっと居てもおかしくない。


それをさせないのは日本人というか日本の特徴なんだろうな。良くも悪くも。

話は逸れましたが、供給量が増え、流通網も復活してきた今、心理的要因によって引き起こされる品薄は解消し、
生産量の低下によるものに関しては、値段が上がって落ち着くと思われます。

2011年3月21日 (月)

引越し

引越しが完全に終了した。


部屋が本格的に部屋になってきた。

些細な事が気分を変える。

物事を全て簡単に解説してしまってはいけない。

それでは、複雑な事をがんばっている人たちに失礼だ。

久々に会った親父が言った。

確かに。


物事を単純に捉えすぎるから、安易な批判が起こる。


「原発に外部電源をつなぐ。」


この作業の裏には、厚さ数十センチの鉄管が網のように張り巡らされた原発に
暗闇の中で挑む作業員がいる。


知りたいという知識欲は大事だけれど、安易な理解を求めて分かったつもりになってはいけない。

わかったつもりは無知よりも悪い。


本質を捉える。

具体的なイメージを持つ。

癖をつけようと思う。

2011年3月19日 (土)

大学の意味

立教新座高校の校長のメッセージ

http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

大学の意味が自分の中ではっきりした。


海を見る自由。
立ち止まる自由。


それが、僕らが大学で得た事。

ここ1年のテーマがあった。


義務のない状態で自分は何をするのか。


授業もない、労働もない、お金を稼ぐ必要もない。


誰にも、強制されない中で自分は何をするのか。

それを考えるのが1つのテーマだった。

大学の意味。


それはきっと、立ち止まって人生を考え、自分の人生を豊かにする事。


強制は甘えを生む。


それに従っていれば、物事が進むから。


本来人生は強制されるものではない。


自分の人生を生きるため。


海を見るため。


大学生という“期間”は存在するのだ。

間違ってなかった。


後2週間。


僕は一人で海を見に行く。

2011年3月18日 (金)

物資不足の対処法

つつましく生きる。

これしかないです。


原発後の発電方法が重要になってきます。

火力に回帰しないか心配。


というか、そもそも電力消費量減らせばいいんですよ。

使い過ぎ。


食料も、食べ過ぎ、捨てすぎ。

トイレットペーパーやティッシュも使い過ぎ。

ハンカチ洗え。


途上国に行けば、停電なんて日常茶飯事だし、各家に発電機くらいある。

一緒にすんなって話だけど、実際インフラが壊れたときに、生命としての力が問われると思います。


自分に必要なものを自分で確保する。

Into the wild.

電気は自分で作る。

食料も自分で作る。


勿論、全部自分でやるのは非効率なので現実的ではないですが、
常にそういう意識を持っておくことは大切だと思います。


とりあえず、上記を人生の目標に加えようと思いました。


終わり。

2011年3月17日 (木)

物がない!

物資不足が続いている。

東北地方は勿論、首都圏でもだ。

一番影響が大きいのは、電力。

輪番停電が随時実施されていますが、鉄道網含め、混乱は続きます。

続いて日用品。

食料がない。

近所のスーパーには長蛇の列。

すでに、コメ、パン、卵、納豆といった食品はほぼ皆無だし、
トイレットペーパー等も全て完売。

燃料もなく、ガソリンスタンドにも長蛇の列。


原因としては、
【供給サイド】
①原発停止による電力不足
②コスモ製油所火災による燃料不足
③被災地への優先配分による流通量の不足
④燃料調達困難なため、輸送網の混乱

【需要サイド】
①供給に対する不安からの買い占め
②営業店舗減少のための自炊の増加

って感じですかね。


個人的には、買い占める理由があまりよくわかりません。

物が無くなるのが不安だから?
それとも転売して利益得るため?

本当に意味がわからない。


実際買い遅れた身としては本当に困っている。

幸いにしてコメはあるものの、それ以外の材料が手に入らない。

飲食店がやっているうちはいいかもしれませんが、各店で在庫が尽きた後が怖い。

これ、リアルに食えない人出てくるよね。


そして重度の花粉症としては、ティッシュ不足がマジ辛い。


食料安全保障って漠然と考えてましたが、実際こういうのを目の当たりにすると
深刻だなぁと考えてしまいます。

とりあえず、パンが食べれないので、ケーキでも探したいと思います。
(リアルにケーキはありそうだ)


では。

2011年3月16日 (水)

スタンス~“こんな時”ってどんな時?~

原発の問題がいよいよ深刻に。

株価は大暴落。

地震の被害が刻々と明らかになってきています。

そんな中、ツイッター等のソーシャルメディアでは、スタンスの問題が議論になっている。

“こんなときに”とか、“不謹慎”という言葉をよく目にする。

色んな意見があるけれど、自分にも2つの軸があって悩む。

未曾有の大災害に対して、何か特別な事を考え、行わなければ、という側面。

もうひとつは、そうはいっても、自分の周辺にそこまで影響はないし、出来る事を考えても
普段通りに日々を送るべきという側面。

これは、それぞれ良いとか悪いというわけではなく、正義の問題。

普段何気なく行っている“評価”がこういう時に試される。


目下自分の考えは、結局“こんなときだから”と言って特別な事をしても
本質的に問題解決につながるわけじゃないし、限界だってある。

異常な節電や食料の買い占め、身の丈に合わない寄付なんかは好きじゃない。

イベントの中止とか飲み会の中止とか意味わかんないし。

特に卒業式。

中止の理由が意味わかんないし、あまった金を寄付に回すとか、それ誰の金ですか、って話で。

本来追及すべき価値を損なってまでする寄付に価値はないと思います。


むしろこういう機会を利用して自分のスタンスを見極め、普段の自分を見直し、
持続可能な範囲で自分の活動を変えていく事にしたい。

普段使いすぎている電気に少し意識を向けて習慣を変える。

そんな事をちょっとずつ考え、実行していくしかないんだろうな。


でも今回一番強く思ったのは、力が足りないという事。

こんなに苦しんでいる人がいるのに自分に出来る事はあまりにも小さい。

大切な人を守るべき時に他人に目を向けるだけの余裕がない。

自分が求める価値のため、力をつけたい。


切にそう思ったのでした。

2011年3月13日 (日)

大震災

自然の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。

東北地方沿岸は壊滅。

現時点で死者1000人超。

宮城県南三陸町では10000人が行方不明。

原発からは放射能漏れ(未確定だが、漏れてるのは確実)


個人的にも体感した最大の地震でした。


思う事をいくつか。


・TSUNAMIの恐ろしさ

阪神淡路大震災の際は、死者6000人のうち、5000人は建物の倒壊による圧死。
地震発生後30分以内に大半が死去したそうです。
今回の地震では、津波の被害が圧倒的。

正直、今まで津波を舐めてました。

いうて波が高くなるだけっしょとか思ってたけど、津波が町を飲み込むあの映像はただ圧倒されました。

水位が瞬く間に10m上がるとか誰も思わないよね。

本当に恐ろしい。


・耐震性

津波の被害が圧倒的なのに対して、地震の揺れそのものによる被害は少なかったと思います。
スマトラやクライストチャーチと比較しても圧倒的に倒壊は少ない。

日本の耐震技術の高さ、精度を改めて認識。


今回の地震で一番、今までと違うところは、情報の伝わり方だと思う。

特にツイッターを初めとするソーシャルメディアの威力。

電話が全く機能しない中、ツイッターやMixiはしっかり機能。

また、USTやYoutubeのおかげでリアルタイムに映像が入手できた。

現地でも状況把握にある程度役立ったと思います。


一方でその弊害も言われています。

ガセや根拠のない情報が拡散しているというもの。

ここ数日ほど、“情報のソース”意識した事はなかったと思います。

こういった誤報への批判が強いですが、個人的には違和感を覚えます。

もともとネットの情報なんて真否不明なモノがほとんどだし、そもそもじゃぁ正しい情報ってなんなのって話。

政府や東電等の公式発表が正しい情報かと言われれば、そんなおめでたい話ではないわけで。

こんな情報はガセだ!みたいなのをまとめたページもありましたが、ほとんどは真偽判断不可。

そのガセ断定そのものが根拠不明です。


ネットの優位性は、情報の多様性にあるわけであって、そこから自分の必要な情報を確保するのは、
あくまで読み手の役目。

もちろん何でもかんでも流せばいいというわけじゃないし、頭使ってないやつが悪いけど、
ガセはやめましょう見たいなついーとそのものもノイズであることには変わりない。

しっかり自分で判断して情報をとりたいものです。

最後に、今後を考える。

現実に東京はほぼ機能を取り戻しているし、他国の災害同様、興味関心だっていつまでも続くわけじゃない。

復興をどのようにやっていくのか。

現実に、壊滅した地域を更地に戻すだけでも、数か月、相当の労力が必要。

そこから復興ともなれば5年10年は優にかかる。

そして、1次産業はほぼ壊滅。

農作物、海産物の価格上昇は避けられないと思います。

そして一番の問題は復興費用。

借金超大国の日本のどこから財政をひねり出すのか。

阪神の時の被害総額は10兆円。
今回はそれとは比較にならないわけで。

いろんな意味で日本の底力が問われていると思います。

書きたいことは山ほどありますが、まとまってないのでこの辺で。

今は1人でも多くの人命が救われる事を祈るばかりです。


では。

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